言葉にしないほうがいいこともあるのだろう。
何でもかんでも口にするというのは、どうなんだろう。
良くも悪くも、言葉というものには力があるようで、言霊というらしいが、とにかく、発した言葉に引っ張られるということのようだ。
そういうふうに定義するということでもある。
そして脳は、そういうものとして認識しなおしてしまう。
だから、ことばにならないような感情とか記憶何かを、無理やり言葉にしてしまうのは考えものなのかもしれない。
言葉にすると、大抵のものは陳腐になる。
よほど、普段から言葉と親しんでいる人でなければ、思い通りの言葉にするなんていうことはとても、無理だろう。
書いていても分けがわからなくなって、最後には思っていたのとぜんぜん違うところに着地をしている、なんていうのはザラである。
だから、思い出は思い出として、大事にしたい感情は、イメージとして覚えておくべきだ。
言葉にするべきではない。
言葉にすれば、その記憶は陳腐なものとして上書きされ、失われるだろう。
それでも構わない人もいると思う。
そういう覚悟を持って、話したり書いたり出来る人は、やはり格段に上達する。
何事にも訓練には危機感というものは必要なのかもしれない。
そういった圧力を掛けることで、その訓練は格別の効率性を示すのだと見える。
結局は、どういう選択をするのかということだから
どちらが正しいとか、間違っているとか、そういう話ではないことは言っておく。
最後に頼りになるのは、自分しかいない。
自分を助けられるのは、自分だけだから。
そういう自立した精神こそが、何よりも必要な時代になってきていると感じた。
マスコミの主な動機は、あれ俺が流行らせたんだぜーという心理。
マスコミというのは、本当に様々な情報を流しているように見える。
まあそのほとんどは宣伝なのだが、それでもその巧妙さは大衆を支配するに足るらしい。
マスコミの流す情報をそのまま鵜呑みにして、踊らされている人がよく見かけられる。
ファッションがそうだし、政策がそうだし、芸能もそうだ。
少し考えれば、もう少しはまともな見方ができるはずなのだが、面倒なのだろう。
なれればそれが当たり前になるのだが、訓練というのは最初が面倒だ。
やりたくはないのだろう。
あるいは、情熱はあっても、やり方が分からないか。
教育の力が足りていない証拠といえる。
何にせよ、そういう大事なところや本当のところを絶対に言わないのがマスコミであるから、彼らの言葉から、裏を読み取れる力が読み手に要求されるわけである。
そのためには当然訓練が必要で、ただ、ぼーっと踊らされているだけでは一生飼い殺しにされるだけだ。
もちろん、楽だし、それで充分生きられるからそれでいい、ということならそれでも構わない。
まあ、この先本当にその状態で充分に生きられるかは疑問だが、そこを自覚しているならいいだろう。
問題は、努力もせずにただ、文句を言っているだけの連中だ。
分かりにくいとか、嘘ばかり報道しているとか、そういう文句を言う前に、自分を磨く方に目を向けられる人間であったほうが、したたかであるということに気づいたほうがいいだろう。
したたかさとしなやかさ、これらはこの先の社会をより良く生きる上で必ず必要になってくるものだと言える。
そのために、自分を高める努力は怠るべきではないだろう。
学べばできるようになるっていうのは、完全に間違っている。
学べばできるようになるっていうのは、完全に間違いだと言える。
そういう人間は、明日からダイエットしようという人と同じで、
いつまでもニセの決意をするだけで終わっていく。
今持っている能力だけで、それがどれだけのものだとしても完成させることが唯一の方法。
どれだけ拙くても、出来が悪くても、みすぼらしくても、しょぼくてもいい。
とにかく今持てる全ての力を総動員させて、一つのものをつくり上げること。
これができる人間は、学んでいくことで、どんどんクオリティをあげて行くことが出きる。
一度も作ったことのない人間が、足りないのは知識だとか、クオリティの高いものが作れないとか、いろんなことを理由にするけれど、そういうことは関係ない。
何度も言うが、とにかく大事なのは、完成させること。
覚悟なんてものはいらない。
まずは、ただ当たり前のように作ればいいだけだから。
映画監督になりたいとか、小説家になりたいとか、そういうことは言うんだけど、
一本も作品を書き上げたことがないし、映像をとったこともない。
それは、本当はそれがそんなに好きじゃないってこと。
それで成功している人を羨ましく思い、その人がそれまでにしてきた苦労からは目をそらし、今の生活だけを求める愚かな人間でしかない。
余裕があって、華やかで、毎日が楽しくて、そんな生活がほしいだけなんだ。
小説家になりたいわけでも、映画監督になりたいわけでもない。
ということに気づいた方がいい。
成功したいのなら、他人の話をしている場合ではないですよ。
いわゆる、成功を求めるのなら、他人の話を聞いている場合ではないです。
彼らは、あなたみたいな人たちに話を聞かせることで成功していて、聞かせ続けることで、成功してるという構造なわけです。
成功するには、まず、今のあなたの状態で、話をすることです。
当然、いろんな演出をすることはいいですよ。
嘘はよくありませんが。
当たり前の話として、いきなり、あなたが憧れる成功者の生活を手に入れられるわけがありません。
その成功者もいろいろな苦労をして、今の生活を手に入れているはずです。
目を閉じて、三つ数えて、目を開いたら、世界が変わっているなんてことはありえません。
そんな当たり前のことに、まずは目を向けましょう。
そこがわかっているなら、とにかく行動です。
今の最大限の力を出し尽くして、何かを伝えてみてください。
その過程で、必要なことは勉強してください。
成長というのは、行動なしには還元されません。
引きこもって勉強していても、ポイントが貯まるだけです。
貯めたポイントは、ちゃんと成長に使いましょうね。
要は、食べたものを運動してちゃんと消化しましょうということです。
健全にいきましょう。
成功者は、他人の話なんて聞いてないと思いますよ。
勝手に動いてますからね。
というと、いま、僕の文章も読んでいる場合ではないんですよね。
そういうわけで、さっさと、いましたいことをしてみるのがいいと思いますよ。
では、ありがとうございました。
今年流行るのは、トレンドカラーです!って、あなたは預言者かなにかか?
存在とか、存在とか、
なぜって言うことの最上位の問として、
「なぜ存在するのか?」というものがある。
宇宙はビッグバンによって生まれた、というのは有名な話だけれど、
じゃあ、なぜ、ビッグバンが起きたのか?
別に起きなくたってよかったじゃないか、と僕は思う。
宇宙を専門に研究している人から言わせたら、何か純然たる理由があるのかもしれないが、僕にはさっぱり理解できない。
なぜ存在するのかということが。
なにもないことのほうが、自然だと思うのだけれど、そこのところはどう考えているのだろう。
なぜを繰り返していけば、そもそもの根源が不明だということに気がつくと思う。
神が世界を作ったというならば、その神は誰が作ったのかと問うてみる。
やっぱり答えはないだろう。
一番初めの存在が謎だ。
ビッグバンの存在が謎で、神の存在が謎で。
昔あった、トマト缶か何かだったと思うけれど、
缶のラベルに女の子が写っていて、その女の子はトマト缶を持っていて、その缶にもラベルが貼ってあって、その缶のラベルにも女の子が写っていて、その女の子もまたトマト缶を持っていて、と永遠に続いていく気持ち悪さがある。
昔は、世界を知るための学問として、
こういう学問を学んでいたらしいが、一向に世界は見えてこなかったのだろう。
多少は進歩したのかもしれないが。
いま、そういう分野の最前線がどこなのかということも意識しつつ、地道に勉強していくしかないのだろう。
まあ、こういうことは夜中にしか掛けないので、書けるうちに書いておこうと思った。
勉強したいことって、いろいろあるよね。
いま勉強してることとか、興味あること、これから勉強する予定のものを幾つか挙げてみた。
社会、政治、医学(西洋、東洋)、Webデザイン、数学、哲学、宗教学、統計学、占術、風水、心理学、天文学、etc
いろいろあるけれど、こうやって並べてみると、人生の短さを感じる。
死ぬまでにどこまで知ることができるのか?
結局知りたいのは、僕たちがなぜ存在していなければいけないのか。ということなのかもしれない。
何もなくたっていいじゃないかってこと。
わざわざ、在るってことは何か理由があるのだろうか、みたいなことを時々考える。
時々考えるけれど、やっぱり何も分からない。
それが気持ち悪くて勉強するのだろう。
同じような人がいたら、ぜひ、声をかけて欲しい。
いろんなことを分担して行けたらと思う。