社会考察と、思うこと。

思ったことをそのまま書いています。

分からないものに怒る人が、大衆と呼ばれる。

人間というのは、分からないものが嫌いらしい。

人間関係においても、もちろんだが、社会においてもよく見られる。

宗教やスピリチュアル、占い、原発集団的自衛権、いろいろなものが挙げられる。

知らないものは怖い。

それが根源的な心理としてあるからだろう。

かと言って、勉強して知ろうとまでは考えない。

ちょっと、インターネットで検索すれば、さわりだけでも分かり、

何がダメなのか、本当はどういうものなのか、ということが理解でき、正しい意見を言えるようになるだろう。

それは面倒なのだろう。

ただ、ダメだとか、とにかく反対だとか。

無理なものの意見ほど厄介なものはない。

彼らは、受け入れるということをしないから、とにかく自分の主張をする。

図々しいにも程があると、思うのだが。

そういう愚かな人たちが、愚かな支配者を生むということにも気づかない。

政治家がダメなのは、民衆がダメだからだということを認識した方がいい。

民衆が賢ければ、政治家はバカではいられない。

まじめに、政治のことを考え、仕事に取り組むようになるだろう。

政治とか、国家よりも賢くなってみなければ、そこで行われている本当のことはいつまでも分からない。

必要なのは、知ることと、考えること。

それの力が、国家よりも優れていることだ。

国への甘えと、怠惰は許されない。

間接的に、あるいは直接自分に跳ね返ってくるだろう。

それを跳ね返せるのは、賢い民間人だけだと思う。

分からないものを分かろうとすること。

知らないことを知ろうとすること。

自分が何とかしなければ。

そういう自立した精神を持った人が多くならなければ、社会はジリ貧になる。

愚かなままではいけないということを、はっきりと認識しておくべきだろう。