生み出す人がいて、それを利用する人がいる。
何かを生み出せる人か、あるいは生み出された何かを利用するのがうまい人か。
社会で成功できる人は、基本的にこの2つに当てはまるだろう。
学者や研究者は前者に当てはまり、実業家や投資家は後者に当てはまる。
クリエイティブな仕事をする人は、その中間にいると言えるだろう。
どちらも必要で、上下があるわけではない。
なんで役に立たないことなのに勉強しなければいけないのか?
と学校の勉強を小馬鹿にしている学生は多いけれど、
では、君たちが使っている身の回りのものはどうやって出来ていると考えているのか?
と問いたい。
家電や、電子機器、家、道路、すべて、学問の恩恵で出来ているということ。
学問をおろそかにしていたら、そういうものは生まれず、
未だに自然しかない、不便な世界だったことだろう。
自分以外の人がやってくれるということなのだろうか。
それはそれでいい。
社会とは、役割分担がきくから、何でもかんでもやらなければいけないことじゃない。
得意なことや、好きなことで力を発揮してくれればいい。
単純に、自分には他にやりたいことがあると、主張すればいいだけなのに、
それができないというのは、やはりただの怠慢なのだろう。
何かしたいことがあるわけではないけれど、勉強はしたくないということだ。
そういうことが想像できないという時点で、それだけ能力が足りていないということが分かる。
勉強しなさいと言うしかない。
学校の勉強というのは、何かを学ぶということの取っ掛かりでしかない。
学校で教えてくれること以外に、何か学びたいことができたときに、
それを学ぶ方法を学んでいるということだ。
自分で学べるようになれば、学校へ行く必要はない。
引きこもって、好きなことを学び、極めるというのも一つの手だろう。
社会的に見れば、派手なのは学問に従事する側よりも、学問の恩恵を利用する側だから、
学問が苦手ならば、それを利用して社会の役に立つ方法を考えられる人になるしかない。
それができるようになりたければ、結局、自分で学べる力をつける必要がある。
だから、学生時代で、やりたいことがないうちは、とにかく勉強に打ち込んでみたらいい。
適正によって、学者か、実業家か、あるいはそれ以外か、
どこに着地するかは変わってくるが、社会的に、いわゆる成功を手に入れることができるだろう。