社会考察と、思うこと。

思ったことをそのまま書いています。

いつも、新しいことを探している。

僕は新しいことが好きで、いつも新しいことを探している。

成長したいという欲求が強いのだと思う。

あと、貧乏症なところもあるのかもしれない。

ただ時間を過ごすというのが、とてももったいなく感じるのだ。

映画なんかもたまに見るが、ハリウッドのアクション映画なんかはあまり興味が無い。

ミステリーとか、サスペンスとか、何かしら頭を使えるものが好きだ。

アクション映画というのは、中身がなく、何も得られないような気がするのかもしれない。

まあ、それも頭の使い方次第なので、それはそれで学べるものはあると思うが、

今は、まだ、そういうもの物に手を出す時期ではないと考えている。

いずれは、楽しみたいとも思っているが。

基本的なことを言ってしまえば、ボーっとしている時間がもったいないという心理が働いてるのだろう。

頭をつかうことをいつも意識している。

具体的なことを挙げたらキリがないので、それは避けるが、

もし~だったらとか、この人はどういう人だろうとか、いろいろなことを想像している。

頭の使い方に関する本が、いろいろ出ていて立ち読みしてみると、

最近良く売れているらしい本には、僕がしていることが乗っていて、共感する部分が多かった。

潜在的に、頭を鍛えたいと思っている人が多い証拠だろう。

実際に行動に移しているかどうかは、また、別だが。

僕の感覚で話すと、頭というのは、特に認識の話だが、高校から大学、大学から社会人と進むことによって、起こりやすいと思う。

高校から大学へ進むことによって、勉強に対する認識が変わったという人はよく聞くし(まじめに勉強している人がほとんど。)、

遅くとも、社会人になったときに、社会の見方が変わったという人が多い(実体験に基づくので、当然かも知れないが。)。

僕は、そういう認識が変わること、価値観が変わること、そういうことを求めて学びを得ている。

パラダイムシフトなんていう言葉も使われたりする。

これも、意識し続けていると、だんだんと変化が落ち着いてきて、価値観が変わる感覚というのが得づらくなる。

成長に限界はないと信じたいが、悟りとか達観に近づくにつれ、変化が起こりにくくなるのだろう。

僕もそういう段階に入りつつあることを感じている。

そろそろ、真面目さを捨てて、ちゃらんぽらんになってみるのもいいかもしれないとも考えている。

勉強することで精神的に得られる変化というのは、そろそろ限界かもしれないので

次は、不真面目になることで、新たな価値観を得ようという考え方だ。

色んな色を混ぜていくと最終的に黒くなるが、成長というのもそういう側面があるのかもしれない。

最後にはどこかに落ち着く終着点みたいなものがあるのだと思う。

そこへ行くには、両極端のことでも、経験してみないといけないことがあるのだろう。

人生は短いから、縛られないで、いろんなことをやってみるということを意識して生きてみると、面白いと思う。