社会考察と、思うこと。

思ったことをそのまま書いています。

存在とか、存在とか、

なぜって言うことの最上位の問として、

「なぜ存在するのか?」というものがある。

宇宙はビッグバンによって生まれた、というのは有名な話だけれど、

じゃあ、なぜ、ビッグバンが起きたのか?

別に起きなくたってよかったじゃないか、と僕は思う。

宇宙を専門に研究している人から言わせたら、何か純然たる理由があるのかもしれないが、僕にはさっぱり理解できない。

なぜ存在するのかということが。

なにもないことのほうが、自然だと思うのだけれど、そこのところはどう考えているのだろう。

なぜを繰り返していけば、そもそもの根源が不明だということに気がつくと思う。

神が世界を作ったというならば、その神は誰が作ったのかと問うてみる。

やっぱり答えはないだろう。

一番初めの存在が謎だ。

ビッグバンの存在が謎で、神の存在が謎で。

昔あった、トマト缶か何かだったと思うけれど、

缶のラベルに女の子が写っていて、その女の子はトマト缶を持っていて、その缶にもラベルが貼ってあって、その缶のラベルにも女の子が写っていて、その女の子もまたトマト缶を持っていて、と永遠に続いていく気持ち悪さがある。

昔は、世界を知るための学問として、

算学、幾何学、音楽、天文学

こういう学問を学んでいたらしいが、一向に世界は見えてこなかったのだろう。

多少は進歩したのかもしれないが。

いま、そういう分野の最前線がどこなのかということも意識しつつ、地道に勉強していくしかないのだろう。

まあ、こういうことは夜中にしか掛けないので、書けるうちに書いておこうと思った。