廊下は走るものだと思っている。
「廊下を走ってはいけません。」
たまたま見ていたテレビで目に留まったシーンだが、誰もが想像できると思う。
けれど、僕は、ずっと何故か分からなかった。
昔からそういうものだったし、ただのお約束だと思っていた。
廊下で走っている子供を見かけたら、先生はそう言わなければいけない。
そういうルールなのだと。
とても、本気で注意しているとはとても思えなかった。
だから、当時小学生の僕としても、そう言われたところで、ただ、はーい、と受け流していただけだったし、ほかの子もそうだった。
走ると言ったって、目をつむりながらというわけでは、当然ない。
直線のところでは、人の流れは見えているから、よけながら走る。
危ないところといえば曲がり角くらいだが、それもそういうところでは特に注意をするし、スピードは落とすから、ぶつかることはない。
少なくとも僕は、一度足りとも誰かとぶつかったことがない。
こういう力を小さい頃から、磨いていたほうがいいと思う。
危険を察知して、対処する力だ。
お陰で、今も、人混みをスイスイと歩ける力が身についた。
当然、誰ともぶつからない。
まあ、人を避けるということに限らずいえば。
鉛筆削りでナイフは使わせるべきだし。
危ない遊具で遊ばせるべきだし。
危ないものにもっと日常的に触れさせるべきだ。
大人は子供を守るべきだけれど、それは将来も含めての話で、
その子が将来必要になる力を付けられる環境においてやらなければいけない。
つまり、ある程度の危険の中に置かなければいけないということだ。
世界は危険であふれている。
子供の世界でだけ、危ないものを排除したところで、それは大人がいいことをした気になっているだけで、大人が気持ちが良いだけだ。
そもそも子供は危ないことをして遊びたいものだ。
その中で、それをいなしていく力を身につける。
危険を察知して、対処する能力が養われずに社会に出ることになれば、それは不幸以外の何物でもない。
何かが起こっても、自分では対処できないのだから。