社会考察と、思うこと。

思ったことをそのまま書いています。

好きなキャラクターになりきれ。

面白おかしく生きたいという人に、おすすめの方法がある。
それが、タイトルに示したとおり、好きなキャラクターになりきれ、というものだ。
誰しも物語の一つや二つ、触れたことがあるだろう。
小学生の時に国語の授業で読んだ昔の話かもしれないし、自分で買って読んだ小説かもしれない。
テレビで見たアニメだといいう人もいれば、立ち読みした漫画雑誌だという人もいるだろう。
その中に、一人くらいかっこいいと思えるキャラクターがいなかっただろうか?
おそらくいたはずだ。

自分がそんなキャラクターになったら、それはきっと面白いはずだという発想だ。
環境が違うし、とか、才能がないし、みたいなことは関係ない。

才能は違えども、それは生き方には関係ない。
才能がなかろうが、途中で失敗するだけで、生き方そのものには影響しないはずだ。
この社会にあわないキャラクターだっているだろう。
ドラゴンボールの悟空だって、平和な社会じゃただのニートでしかない。

そのときは、ただ、「もし」のその先を想像してやればいいだけだ。
そのキャラクターの上辺をなぞるのではなくて、その精神性こそを真似る。
平和な社会になったらどうやって生きているのだろうか、と。
想像で補う。新しい物語を創造ればいい。

真似ることに抵抗のある人もいる。
自分を失うかもしれないということに恐怖心を抱いている人でも、心配いらない。
真似をしても、その人にはなれないからだ。
つまり、言い換えると、真似をしたところで、自分らしさは残るということだ。
少なくとも、そのキャラクターが好きだという自分は残る。
好きで真似しているんだから。

そしてそのキャラクターの多くは、何かを見本として生きていない。
特に意識することなく、自分を生きている。
当然だ。
作者にそう作られているのだから。
憧れられるキャラクターというのは、ほとんどと言っていいほど、自分を疑っていない。
その点が、もはや違う。

本物とまがい物の違いだ。
そして、まがい物でも構わない。
生きてて面白ければ、それでいい。
そういうふうに割りきって生きることだ。

そういう生き方を選べることが、すでに本物であるということなのだろう。
矛盾しているように聞こえるかもしれないが、世界とはそういうものだと、僕は思う。